国際法

日本は世界的な漁業国、海運国であり、それに加えて、かつては海軍国として、伝統的な海洋秩序から利益を享受してきました。第二次大戦後には、第一回が1958年、第二回が1960年の、海洋法会議がいずれもジュネーブで開かれています。前者には86の国が集まり、後者には88の国が参加しました。第一回の海洋法会議は、4つの海洋法条約を採択する成果をあげました。領海および接続水域に関する条約、公梅に関する条約、漁業および公海の生物資源の保存に関する条約、大陸棚に開する条約がそれです。このうち、第一と第二の条約は、伝統的な海洋法秩序に忠実に、それに若干の補正を加えた内客をもっていました。第三と第四のものは、新しい技術的条件と政治的要求とを反映させた内容をもっています。日本は第一と第二の条約は批准しましたが、第三と第四の条約は批准ししませんでした。第一回会議は成果をあげましたが、一つの重要な間題が解決されませんでした。それは諸条約ながでも第一、第二の条約、さらには第三の条約の基礎となる領海と公海の境界、いいかえれば領海の幅の間題である。領海の幅は伝統的には3カイリであった。日本は熱心なその支持国の一つである。しかし、当時、すでに、3カイリ以上の領海を主張する国の方が多くなっていました。第二回会議は、主としてその結論を出すために開かれましたが、惜しくもまとまらず失敗しました。大勢としては3カイリではもはやまとめられませんが、12カイリまでの間で、ということでした。実情でいうと、3カイリとしている国が日本を含む23国、4カイリ3、6カイリ12、10カイリ1、12カイリ48、それ以上16となっていました。こうしてみると領海12カイリが有力であることは分かりますが、間題をさらに復雑にしているのは、相当の国が、領悔の外側に、資源の確保をめざして、パトリモニアル水域とか、経済水域と主張していることでした。そのために領海12カイリを止むをえないものとして受け入れようかと考える先進国が、この点でなお反対を続けていました。第二回会議のころに、もう一歩でまとまりかけた案が、領海12カイリで、その内側一定範囲で、他国の漁業実績をある程度尊重するというものであっただけに、この十余年の側に生じた国際間の地滑りを実感させられます。
もし、領海12カイリに経済水域200カイリが各沿岸国に認められることになれば、大部分が各国の自由な活動、使用の場であった海洋が、すくなくとも漁業に関する限り、海域の30%ないし50%が公海でなくなってしまいます。日本の漁業は、近海が60%、遠洋が40%になりますが、この遠洋漁業の5分の4が他国の経済水域で抑えられてしまい、そこで残されるサケ、マス、マグロの遠洋漁業のうち、サケ、マスについては、それを自国河川で産卵培養している先進国から、日本に圧力がかけられます。その経緯は歴史的に海の秩序は、海洋先進開の間で形成されてきました。彼らが海の利用に関心をもち、しかも技術との関係で、当時の海は資源的にも空間的にも無限と言ってよいほど大きくかつ広く、さらに当時の国際政治を動かした国がこの海洋先進国でした。それが事情が違ってきて、ラテンアメリカからアジア、アフリカにかけて、先進国の支配下の植民地から50、60、70という独立国が生まれました。海洋後進国が多数生じましたが、海洋法に対するこれらの国の発言は国際政治の上で無視できなくなりました。中国もそれに組していました。彼らの数と声は、第一次海年決会議の時にもまして、多くかつ太きくなっていました。そうした中で、第二回の会議では問題とならなかった大陸棚以遠の深毎海底が、マルタ代表の発言を機会に取り上げられています。その資源を人類の共同財産として国際的な平和的利用と開発を行ない、後進国にその利益を補填させようということでした。問題はすでに大陸棚を越えて、海洋洋全体の海底全体に及んでいました。また海洋汚染が独立の問題として登場してきており、汚染防止のために沿岸国に一定の管轄権を認めよとの主張は、後進国だけでなく先進国の一部にもありました。また沿岸国の経済永域の主張が漁業を主眼として、一般の航海をとらえていないのは確かでしたが、それでも領海が12カイリとなれば、各地の国際海峡の通航権が微妙になってきます。無害通航か自由通航か。国防の点がらこれについて強い態度をとり、日本は航行について大きな関心を注いでいました。

お金

お金と資源ナショナリズム

発展途上国の保有している資源は、外国資本のお金を借りることや国際資本によって開発されている例が庄倒的に多く、その場合に資源産業に進出しているそれら外資の行動様式が自国の利益と相反するものにならぬよう発展途上国側の利益を主強する動きのことを資源ナショナリズムといいます。自国資本のお金で生産し先進国に輸出している物について、発展途上国同士が結束して共同戦線をはる動きも含まれます。具体的には、外資の全面的な国有化、加工4流適販売など資源外資への資本参加要求、あるいは、家計や謀税対象となる価格の決定への直接関与や利潤を現地開整のために再投資することを求めるなどの様々な動きとして現れていました。最近の典型例としては、国際石油資本に対して石油価格引上げを求めたOPEC石油輸出国機構の挑戦やイラクの石油国有化がそれでした。今後は益々資源ナショナリズムは強まるとみなけれぱなりません。

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